今年も子どもたちを連れて沖縄県に旅行してきました☆(夏に)
那覇空港に降り立つと、ポケモンと沖縄?が何やらコラボしているらしき雰囲気がそこかしこに見受けられました…(°_°何のイベントだ??
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※那覇空港の3階ふくぎホールには誰でも無料で勝手に弾いていい三線(サンシン)が置かれおり、ピアノもあって子どもたちと弾いて遊んできました☆
この黄色の飛行機も見かけました〜( ˙-˙ )
スマホでピカチュウ飛行機を撮影する時間がなくて、公式サイトから「ピカチュウジェットBC」の画像拝借。
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どうやら、ポケモン社が沖縄県の観光産業を支援するべく「空飛ぶピカチュウプロジェクト」を実施しているみたいです(・ω・)
へ〜
那覇空港から歩いてゆいレール那覇空港駅(日本最西端の駅)に向かった我々家族。
さて、ゆいレールに乗るぞー❗️
と、待っていたら
ゆいレールまでピカチュウになっていて、おったまげました( ´△`)
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通常のゆいレールはコチラです☆
2両編成で、車体の下部の朱色のラインは首里城をイメージしたカラーとなっています。
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ゆいレールはモノレールですが、沖縄の言葉で「ゆいまーる」という「助け合い」を意味する言葉を、モノレールと組み合わせて名づけられています。
実際に、この旅行でゆいレールに乗車した時に人がたくさん乗っていて、座る席が全く空いてませんでしたが、座席に座っている沖縄の人?らしき男性(久保田利伸似)と目があい、次の瞬間に、その男性が飛び退いて私に席を譲ってくれました!え?何?(´⊙ω⊙`)って逆に私が驚いてしまうくらいの身のこなし方でした。
子連れの人にサラッと笑顔で席を譲れる沖縄の男性凄いです!!
沖縄の人は本当にびっくりするくらい優しくて驚いてしまいます。
ゆいレールは沖縄にぴったりな名前だと思いました(^^)
2021年12月18日から「空飛ぶピカチュウプロジェクト」の一環で、ピカチュウデザインのゆいレール特別車両が沖縄を走るようになったよーです。
2023年2月末でポケモンデザインのゆいレールは終了予定です。
「空飛ぶピカチュウプロジェクト」のゆいレールは、内装もポケモンデザインになっていました!!
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何気に、座席シートはシーサー柄になっていて可愛いかったです♡
各駅到着時には、車内メロディーでポケモンのゲーム音楽が流れ、那覇空港〜てだこ浦西の全駅分19曲のレパートリーがあるそうです♪
ゆいレールの橋桁?はなんだか、沖縄の景観を損ねてしまっている気がするのは私だけでしょうか…?💧
沖縄県も地を這う鉄道を作ったらいいのではないか?と思ってしまいましたが、沖縄は車社会ですから、レールを地上に作ると車の邪魔になるのかな?と思ってみたりして、自称乗り鉄夫に聞いてみました。
私「沖縄は何で地上を走る鉄道がないの?」
夫「沖縄も昔、鉄道が地上を走ってたんだよ」
私「え?そーなの(゚o゚;;?何で無くなったの?」
夫「◯△□×…」(風の音で全く聞こえない)
私「……( ´ ▽ ` )」
↓ゆいレールからの景色を眺める娘
急に沖縄の鉄道の歴史が知りたくなり、図書館で数冊本を借りてきて読んでみました。
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ここから、沖縄の鉄道の歴史についてちょっとだけ書いてみようと思います。
初めて汽車に乗った琉球人
琉球人で初めて汽車に乗ったのは、伊江朝直(いえちょうちょく)ではなかろうか。彼は、琉球王国の血をひく家柄で、伊江王子としてよく知られている。
(中略)
1872年(明治5年)、琉球からの維新慶賀使の正使として伊江王子が上京したとき、政府はひとまず、彼を鉄道開業式に参列させることにしたのである。
(中略)
こうして伊江王子は、琉球国尚泰王の名代として、明治天皇と共に、あの鉄道開業のときの記念列車に乗り込んだのであった。
(「沖縄に電車が走る日」より引用)
沖縄県にはかつて2つの鉄道が存在しておりました。一つは沖縄県営鉄道、もう一つは沖縄電気軌道です。
沖縄電気軌道は1914年(大正3年)5月3日に大門前〜首里までの5.7kmが営業を開始し、沖縄県営鉄道より少し早く開業しました。その後1917年(大正6年)に大門と通堂間1.2kmが伸びて、港のある通堂〜首里まで前線が開通しました。
沖縄電気軌道は1914年(大正3年)1月の試乗会で脱線を起こすトラブルを発生させたりして、前評判はあまり良くなかったようですが、チンチン電車が走り出すと、地元民たちは物珍しさから注目し始めました。
ですが、運賃が高かったために乗客があまり見込めず(初年度の乗客数見込みの4分の1程度しか乗ってもらえなかった…💧)、そのため業績悪化し、姉妹会社の沖縄電気に吸収合併されました。
そうして、1929年(昭和4年)にあらかき自動車という会社がバス路線を開業し、バスにお客をとられてしまった沖縄のチンチン電車(路面電車)は、1933年8月12日に正式に全区間が廃止となりました。営業年数19年で姿を消してしまったことになります。
一方、沖縄県営鉄道は1914年(大正3年)に那覇駅と与那原駅間の9.2kmが開通し、1922年(大正11年)に古波蔵駅から分かれて嘉手納駅までの22.4kmが開通し、1924年(大正13年)に国場駅から分かれた糸満駅までの14.4kmが開通しました。
1921年(大正10年)、当時まだ皇太子だった昭和天皇が沖縄県営鉄道の鉄道に乗って那覇に行かれたことも話題になったみたいです。
沖縄県営鉄道(正式名は沖縄県鉄道)は30年にも渡り長く走り続けましたが、1944年7月には戦争により通常ダイヤによる営業運転は終了し、軍用鉄道となりました。
1944年10月10日の那覇空襲にて那覇駅が消失し、同年12月11日武器弾薬を列車で運んでいる最中に爆発事故(沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故)を起こし、兵士210名、鉄道職員3名、女学生8名が死亡するとゆう悲惨な事故が起こりました。
翌年1945年3月26日にアメリカ軍が沖縄に上陸し「沖縄戦」が始まり、沖縄県営鉄道は3月に運行を完全に停止することになりました。
そして、沖縄戦で沖縄の鉄道施設は破壊されました。
戦後は、朝鮮戦争勃発にて鉄不足になり、沖縄の鉄道レールはかき集められ、鉄道敷地だった場所も軍事基地の建設などに使われてしまい、沖縄県営鉄道は戦禍に巻き込まれて消え去っていきました。
2003年8月10日、沖縄で58年ぶりの鉄道が誕生しました。
それが「ゆいレール」です。
沖縄は今、コロナの影響でレンタカーの数がここ2年間で30%も減ったらしく(2万2000台あった沖縄のレンタカーが、一時1万5000台まで減減少)、それに伴い観光客のレンタカー争奪戦が勃発し、我が家も今年の沖縄旅行ではレンタカーが借りることができませんでした(ToT)笑
まぁ、日ごろから日本各地を鉄道旅している我が家にとって、レンタカーなんてなくても、ゆいレールやバス、レンタル電動自転車などを駆使して沖縄を移動してやりましたよ。(←精一杯の強がりです…)
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スーパーに食材を買いに出かけたらスコールに遭いました( ´_ゝ`)
バスでの移動中、突然バスの車内アナウンスに「うちなーぐち(沖縄弁)」が流れてきてびっくり仰天(°_°)!!
全く何を言っているかわかりませんでしたが、面白かったです(笑)
レンタカーもいいけど、バスや自転車、徒歩移動も全然ありだな〜と思った我が家でした(*^^*)
読んでいただきありがとうございました。
〜余談〜
アメリカンビレッジや国際通りにも「空飛ぶピカチュウプロジェクト」の一環?で、ピカチュウがあちこちにいて、娘が大喜びしていました☆
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