うちの夫は鉄オタでありながら、、、
歴男でもあります(・・;)
(髭男的な読み方ではなく、「れきお」と読むらしいです…💧笑)
夫は、大学入試センター試験の社会科目は、全て満点をとったらしく
(多分、世界史とか日本史…?)
歴男ゆえに、
夫は歴史、文化、伝統、城郭、寺社・仏閣を巡る旅が大好きです。
一方、私は歴女でもなんでもないし、テストで赤点だらけの学生時代を過ごしてきたため、、、
夫の歴史旅に同行しても「どこ、ここ?」「誰、この人?」「また寺とか神社行くのかよ…。一体何が楽しいの?( ̄▽ ̄;)」とゆー状態に陥ります…💧
ですが、、、
せっかく歴史旅について行くのであれば、歴史をちょっとでも知ってる方が、楽しめるし退屈しなくて済むかも、、、
なんて思い始めるようになり、最近歴史の勉強をちょこっと始めるようになりました(*´-`)
私は10代の頃、社会科目の勉強は全くしてこなかったため、本気で歴史の知識は終わってます…💧←その他の科目もね(ーー;)
(夫から「脳が腐ってるんじゃない?」と心配されるくらい(ディスられてるだけ)知識がないです。
歴女さんたちのブログを最近は読み漁って、少しづつ歴史の勉強をさせてもらってます☆
最近私の激アツだと思う歴史上の人物は、源義経です(・∀・)
現在放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、菅田将暉さんが義経を演じられるからって注目しているわけでは、決してありませんよ!!(実はめっちゃ楽しみ)
何で私が、義経にハマっているのかというと…
夫に以前、義経堂に連れて行かれたからです
(オミクロン株が日本で流行する前の話です)
義経堂
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義経が自害した場所(右奥に慰霊碑があります)
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私はアホですが、さすがに義経と弁慶の名前くらいは10代の頃から知っていました。
弁慶と牛若丸(義経)が橋の上で決闘をして、牛若丸が弁慶に勝っちゃって、弁慶を家来にしちゃった!!
ってことと、
義経がお兄ちゃんに裏切られて兄弟同士の戦いになる!!
ってことくらいは、ザックリと知ってました(^▽^;)
私が小学生の頃にハマって読んだ「リョウ」という少女漫画(マーガレットで掲載されていた漫画)で、かろうじて義経と弁慶の知識があったのです…(笑)
(義経が17歳の女子高生で、弁慶に恋をしちゃう♡みたいなハードな内容になってます(^^;;
この漫画
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ですが、
義経と弁慶の死にぎわがどんなものだったのか、、、
ということは、大人になるまで全く知りませんでした(・・;)
夫に義経堂に連れて行かれて、はじめて義経と弁慶が壮絶な最期を遂げたことを知り、とっても悲しくて涙が止まりませんでした…(TT)
義経と弁慶の最期については、諸説あると思いますが、義経記に書かれている内容の死に方なら・・・本当にめちゃくちゃ悲しい・・・と思いました(´;ω;`)
公文式にも「くもんのまんが古典文学 義経記」という本が出版されているので、娘が字を読めれるようになったら、読んでもらいたいなーと思いました☆
「義経記(ぎけいき)」は、義経が死んでから200年ほど経った室町時代に書かれた書物です。
(作者不明、全8巻)
よしつね記って読んで夫に鼻で笑われました…(⌒-⌒; )💧
この動画、とってもわかりやすいです。
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義経は敵に囲まれた中で、妻子と共に自害します。(義経は31歳の若さでこの世を去ります…)
義経は自害する際、
家来の兼房(63歳)に
「さて、自害の刻限がきたようだ。 自害はいかようにするのがよかろう?」と尋ねます。
兼房は
「佐藤(忠信)四郎兵衛(義経四天王の1人)が京都でいたしたような方法が、後々まで人々が褒めたたえ候う」と答えます。
義経はそれを聞いて
「さしつかえない。さては傷の口の広きこそよかろう。」と言って
秘蔵の太刀(いまの劔)を取り出し、左の胸の下にぐっと突き刺し、深く腹をかき切って、その傷口を三方に押し広げ、腹わたをたぐり出しました。
そして、義経は妻の北の方を呼び寄せ
逃げるように言います。
しかし、義経の妻は
「いいえ、都から出た日から覚悟は出来ています。いまさら、驚き恐れることはございません。さあ、この身をお手にかけて死なせてください。」と言い、義経にすがりつきました。
義経は家来の兼房を呼び、妻を斬るように命じます。
兼房は、北の方に刀を突き立てることができず、ただただひれ伏すばかりでした。。。
みかねた北の方が兼房に、
「情けない。そなたが手をかけてくれないのなら、その刀を私に渡しなさい。自分で自害いたします。」と言います。
兼房は、北の方に
「姫(北の方のこと)がお産まれになって3日目に、お父君から姫に仕えよと仰せられ、その時から今まで姫の守り役としてお仕えしてまいりましたが…このような悲しいお姿を見ることになろとは…露ほどにも思いませんでした…」と言い、兼房は鎧(よろい)の裾を顔に押し当てて、さめざめと泣きました。
北の方は
「嘆いても甲斐もないこと。敵が近づいてきます。さぁ、兼房早く!」
と言います。
兼房は腰の刀を抜き
北の方をさっと刺しました。
北の方は喘ぎながら念仏を唱え、しばらくして息を引きとりました。
兼房は、北の方の亡骸を義経の傍に横たわらせます。
続いて、兼房は5歳になる若君(亀鶴君)に向かって、
「父ぎみも母ぎみも、死出の山という道を越えて、はるか遠い冥土(めいど)の境までお出かけになりました。若君も早くお後から来るようにと、おっしゃっていますよ」と言い聞かすと、
若君は今刺し殺そうとしている兼房の首に飛び付きながら
「じゃあ、その死出の山とかいうところへ、早く行こうよ!兼房早く!すぐに連れて参れ」
と兼房を責めました。
兼房はただただ涙が止まりませんでした。
兼房はさめざめと泣きましたが、敵が近づいて来る気配を感じ、刀をとって、
若君を刀で貫きました。
若君は、「わっ」と一声叫んで息が止まり、兼房は若君の亡骸を義経の衣の下に押し入れました。
また、産まれてわずか7日目の幼い姫君も同じく刀で刺し殺し、北の方の衣の下に押し入れながら、念仏を唱えました。
その時、義経が目を見開き、兼房に
「北の方はどうした…?」と聞くと
兼房は
「ご自害なさってお側にいらっしゃるでござる」と答えると
義経は弱る手であたりを探り
「これは誰だ?」と聞きます。
兼房は「若君でございます…」と答えると
義経は、また手を伸ばし北の方の亡骸にとりすがりました。
これを見た兼房は悲しみに胸を貫かれる思いでしたが、
義経が「兼房…屋敷に火を…敵が来る…」と言うので
兼房は屋敷に火を放ちます。
(兼房はこの後敵と戦って、敵もろとも焼け死にます)
弁慶は、義経が自害する前に、義経が立て篭もっていた屋敷の前で、敵を食い止めるために、たくさんの弓を身体に受けながら、立ったまま死にました。
「立ち往生」という言葉は、弁慶の最期の様子を表した言葉ということを知り、びっくりしました(笑)
ちなみに、これが義経…💧
(現代では美化されまくって、ゲームとかめちゃイケメンに描かれてますよね)
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義経記で義経が自害した時に使ったとされる短刀「今の剣」は、刀剣乱舞のキャラクターにもいます。
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読んでいただきありがとうございました☆